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神戸新聞 リレー随想
2005 1月18日   きっぱりと
    2月 2日   あの露地を曲がって
    2月18日   袂が揺れる
    3月 7日   高い煙突の空の下
    3月23日   夢は続く
    4月 8日   −ドレミ・ドレ−




     


















きっぱりと


十代の頃、高村光太郎の詩が好きでよく読んだ。なかでもーきっぱりと冬が来たーを何度も諳(そら)んじた。
 いつか予測の出来ない悲運が来ても「きっぱりと引き受けよう」。稚(おさな)い感情はそのままに、この詩を読むたびに熱い決意を育んだ。 
 
冬よ来い
僕に来い 僕に来い
(中略)
刃物のような冬が来た

その後三十代半ば、詩集を読んで衝撃を受けたのは石原吉郎だった。彼はシベリアの強制収容所での体験をひたすら書き綴った。
ーもしあなたが人間であるなら私は人間ではない/もし私が人間であるならあなたは人間ではないー
人が人として存在することさえも不条理であるという重たさに、自分の日々の安逸さを心から恥じた。
そして現在、きっぱりと引き受けるほどの逆境にも遭遇せずおまけに詩らしきものまで書いている。今年の冬も地球温暖化のせいかなま暖かい。
毎日を科学の進歩と文明のありがたい恩恵に甘んじて暮らす穏やかな日暮らしに、時折りため息まじりの声が届く。今失いつつあるものの大きさが視えてこないからだろうか?
懐かしい人達の声が聞こえる。お茶の間には卓袱台(ちゃぶだい)があって、一家団欒の夕食には一日の疲れを癒やす温かい湯気が立ちこめていた。暮らしの願いはささやかであったはず。それがどうだろう、私達は有り余るほどの豊かさを手に入れてしまっている。
きっぱりと耐える必要もなく、人と人の存在を結ぶ絆は蜘蛛の糸よりも細い。
「あとでケータイして」
恋の告白もメールで片付ける。すれ違いのメロドラマは成立しなくなった。身の丈ほどの暮らしぶりで十分楽しかった昭和三十年代の頃のことなど、機会をみて、次代へ繋げていけたらと願う。

                         2005年1月18日 神戸新聞 夕刊


あの露地を曲がって


 お昼ご飯もそこそこに八歳の私が駆け出していく。
 表通りを斜めに横切って細い露地を曲がると、不意に三方を高い塀に囲まれた空き地に突き当たる。そこが「下村材木店」の材木置き場で、その頃の子供達の格好の遊び場だった。もうみんな来ている。高く積まれた材木に駈け上がり、鬼ごっこ、陣とりゲーム、かくれんぼとたわいもない遊びは日の暮れるまで続いた。
 時々店の印半纏を着た肩の厳ついおっちゃんがやってきて「我ら怪我すんなよ」と穏やかな顔のこともあるが、「ここで遊ぶなっ!」と一喝で蹴散らされることもあった。
 みんな貧しい家の子達はそんな大人の都合に反感を持つこともなく、「しゃあない今日はやめとこ」と次の楽しみにと機嫌良く繰り出していった。
 それぞれが五円玉を何枚か握り締めて、筋向こうの駄菓子屋へとなだれこむ。
 ニッケ水 スルメイカ ラムネ玉みんな駄菓子屋で覚えた味だ。

 あの頃の風景を唄い続けている友人のミュージシャンがいる。六〇年代七〇年代にこだわって今もアコースティックな音楽を作り続けている。
 「一個五円のローセキ買って」と駄菓子屋のおばちゃんの歌を唄う神田修作。
 「でもこの町が好きさ、俺を育てた長田」と俺の住む町を唄う勝木てつよし。
 大人になりそこなったような彼らの歌の原風景におかっぱ頭の私がいる。
 いつの間にか身についてしまった分別や浅知恵。「やだなあ」。ため息混じりのそんな時、ふと幼心が懐かしく甦る。
 いつもの買い物の途中、広い通りを逸れて、露地を曲がると、一日を遊び惚けていたあの空き地が見えてくる。

                             2005 2/2 神戸新聞 夕刊


袂が揺れる


着物姿は不便である。駅の階段が一足飛びに駆け上がれない。横断歩道の信号が赤でも突っ走れない。おまけに雑巾がけの時に膝がつけない。というわけで現代の生活空間からすたれていったのだろうか。
 しかし不便を承知で着物が大好き。はんなりと衣を身に纏う実感は女性ならではのもの。腰骨の位置に紐を結ぶ。おはしょりを束ねつと半身にそらし帯の格好を決める。手順がそのまましゃきっとした息遣いに変わりいい女に仕上がっていくと信じている。
 敬愛する人生の先輩に教わった。いい女になるには「時々は青空を見上げる人」「着物姿が美しい人」など。
 日常の煩雑さに振り回されていると、空を見ることさえ忘れて表情まで険しくなってくる。
 着物姿が美しいと言われるまでには相当の年月がかかる。一月着物の美しい若い人達が巷に氾濫するが、着物姿の美しい女性にはお目にかかれない。
 私が小学生だった頃、月に一度の授業参観日。教室の戸が静かに開いて親も子も緊張の一日が始まる。文具に混じって樟脳の匂いが廊下を行き交い、微かな衣擦れの音さえ懐かしい。
 女友達が何人か集まって「紬ぐ会」と称して着物姿を楽しんでいる。会長は川村扶美さん。「少し派手かしら」。娘時代の着物が、はにかむ彼女を優しく包む。
 昔着物を自分流にアレンジして粋に着こなす人と着物で過ごす一日はどこか華やいでゆったりと時が流れていく。かくて年齢を重ねた女達の「花の命」のなが〜いことを林芙美子さんはご存じない。
 バス停で人待ち顔の私に風をはらんで袂が揺れる。ちょっぴりいい女になっているかしら?
                                       
                              神戸新聞2月18日 夕刊


高い煙突の空の下で

                                        
 旅は不慣れなせいか、めったにしない。勿論海外旅行なぞというものには、一度も行ったことがない。従ってパスポートは持ち合わせていない。その代わり出掛ける時は必ずタオル一本持参する。京都が好きで幾度か訪れている。つい先日も新京極の路地を入った所に銭湯を見つけ、「櫻湯」の暖簾があがる午後三時を待って一番風呂を楽しんだ。
 街なかの銭湯には、それぞれの街の顔がある。洗い場で聞くとはなしに耳にしてしまう土地の人達の会話が面白い。
 人のうしろ姿には本人も気がつかない年月が宿っていると思う。
 ペタンとしゃがみ込んで身体を洗っている二人の背中はおおらかだ。
 「あんた、まぁ陽子ちゃんにせんどぶりに会ったらええ年になっとおね」
 「一番下の子が去年成人式じゃったけぇね。あん子も、もう五十やがね」
 「んっまぁ〜こんまい子やったに大きゅうなって」
 「そうやがな、五十も済んだらええ婆さんよ」
 「ひゃあ五十も済んだかね」・・・
 立ちこめる湯気に混じって話はエンドレスで続く。
 「五十が済んだ」と云い即答で相槌をうつ二人には生活に根を張った者達のそこはかとないペーソスが漂っている。つりこまれて私もほっこりしてしまう。
 こんなおばあちゃん達に出会えるのも銭湯の楽しみのひとつだ。
 ふらり街を歩いていても背の高い煙突を見つけると足が勝手にそっちへ向かってしまう。あの空の下で暮らす人達がどんな日暮らしをひもといてくれるだろう?
 かく言う私も六十も済んで、さてこれからどんな新しいことが始まるのかしらと胸が躍る。
                       神戸新聞 2005年3月7日(月) 夕刊


夢は続く
 

木製のドアが開く。と、弾んだ笑顔が届く。店の名前は「ゆめや」コ−ヒ−の豊かな香りにのって、ア−トな空間が広がってくる。「ゆめやさんで個展するのが私の夢」友人は熱っぽく語る。「どんな時でもおもてなしの風が送れますように」店主のさりげない気配りに爽やかな風が渡る。
 友人の夢はきっと実現する。午後のティタイムが夢色に染まる。
 長田には笑いの夢がある。こちらは「YOSE夢屋」三月で開店一周年を迎える。美味しい食事と落語が生で楽しめる。
 長田の街に文化 芸術をそしてより良いまちづくりを一緒に考えようと「長田文化倶楽部」が発足して、この五月でやはり一年になる。代表は砂川さん。事務局長は正岡さん。彼等達の笑顔に引き寄せられるようにして会員は少しづつ増えている。悩みはある。より良いまちづくりの答えがみえてこない。話し合いはため息で終わることもある。会員の一人「YOSE夢屋」のあるじは「僕達はここが生活の場です。だから何があっても逃げ出すことはできません」と重い口を結ぶ。「神戸の街に笑いを送りたい」長田発の笑いを提供する現実の面さもあるだろう。しかし会員のみんなは実に人が善い。しんどい話も知らないうちにじわっと温かい笑いに変わってしまっている。
 瞳に少年を宿しながら、かっての情緒ある暮らしに夢を置くことができる。
 −街に夕暮れどきの匂いを取り戻したい−

 今の私の一番の願い。人が人としてより良く生きたいという願いがあるかぎり
夢は続く。
 そして私は東にひとつ、西にひとつ夢の在処をもっている。

                  神戸新聞 2005年3月23日(水) 夕刊

−ドレミ・ドレ−


 
昨日も今日も雨が降り続く。どこかで春が踏み止まっている。我が家の三匹の愛猫達はホツトカ−ペットで蹲っている。「ねぇ一諸に遊ぼう」と声をかけても知らんぷり。気ままな三匹に比べてふと思うことがある。あのノラちゃん達はどうしているかしら。
 十年前のちょうどこの頃路地の奥に崩れ果てた空き家が一軒あった。夕闇に紛れて老夫婦が現われる。お婆ちゃんが買物篭から取り出した餌を撒き始めると、おじいちゃんがそっと離れて見張りに立つ。すると、どこからともなく猫が飛び出て、にわかに明るい色が差し込み賑わいを見せる。 餌にありついた猫達は、はしゃいで翔び跳ねる。なかでも毛並みの白い伸びやかな姿の一匹はお婆ちゃんの両手に顔を預けて、ひと時の逢瀬にひたっている。 
老夫婦はしみじみと話だす。「家内も私もあのミィに助けられているんですよミィが待っているから毎日やってこれるんです」二人は電車とバスを乗り継ぎ、二時間かけて北区の仮の住居へと帰っていく。そのうしろ姿をミィは決して、追っかけたりはしない。群れるノラ達に混じって涼やかな顔で見送っている。
 餌を平らげたノラ達はどこへともなく引き上げていく。気かつけばミィもいなくなつている。 ミィは笑わない。涙も流さない。時々は餌を奪い合って爪をたてる。それでも老夫婦はあの稚けない生きものに自分達が助けられていると、とつとつと語る。そしてそれは本当だと思う。あの二人にはミィの存在そのものが明かりなのだ。 しどけなく横たわる我が家の愛猫達と今夜は雨垂れの音を楽しんでみよう。 ねぇ遊ぼうよ −ドレミ・ドレ−

         
神戸新聞 2005年4月8日 夕刊
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